「名古屋禅センター」

「禅文化研究会」は発展的解消でよいと思われる。

「禅文化研究会」は「愛知西教区」では出来ないことをやる。
というスタンスで企画・行動していた。

「名古屋禅センター」は、「愛知西教区」と「禅文化研究会」の理念を兼ね備えたものであろうと思う。
「愛知西教区」は、妙心寺派としてのただの一宗務機関であるので、色々と制約もあるだろう。
「禅文化研究会」は、自由な発想で活動することが出来た。

その「禅文化研究会」に、「愛知西教区」共々、本山(妙心寺派宗務本所)の後押しを得ることになる。

「禅文化研究会」の汲々とした経済状態からの脱出。
「禅文化研究会」は、その対象を寺院・寺族としてきたが、今後は寺院・寺族も含めて、一般大衆をその対象とすることとなる。

「禅」って何?
「坐禅」って何?
それが分からないから、それに触れる機会を多くしていきたい。
積極的に、「禅」に触れる機会を増やしていきたい。

それと共に、今は「寺」を敬遠しようとする風潮を煽り立てる状況がある。
そんな中で、故郷を離れた方々が今いる地域で、今までの宗教を求めている。
そのような方々に、「こころのよりどころ」としての身近なお寺をご紹介させて頂く。

「名古屋禅センター」。
その存在を、広報していきたいと思う。
やることと、出来ること。どちらも多くある。
「名古屋禅センター」として、地域全体で押し進めて行きたい。

友引の葬儀

名古屋市の火葬場が友引でも営業(?)を始めた。
で、友引にも葬儀を行うようになった。

昔住んでいた山村でのこと。
2・3歳の子どもが蛇に憑かれたと、畳の上を身体をくねらせて移動する。
立って歩くことが出来なくなった。
ということで、お寺の和尚さんのところに「どうにかなりませんか。」と訪ねてきた。
話しを聞くと、友引に身内(この子どもの父親だったと記憶している・・・?)の葬儀を行ったとのこと。
で、和尚さんがお経を読んだところ、無事元に戻った。
ということがあった。

最近は迷信とかで、故事をないがしろにする傾向が多く見られるようになったが、本当に迷信で済ませてしまっても良いものだろうか?

と、このこととは別に、今までは友引には葬儀をしなかったことから、法要の日にちを決める時に、友引の土・日曜日を勧めていた。
これからは土・日曜日の友引にも葬儀をしなくてはならなくなると、決めていた法要の時間変更を強いられることになる。
食事会場の都合もあることだし、檀家さんにとっても迷惑なことだ。

そんなこんなで、友引に葬儀をするのは止めにしないか?

火葬場は稼働すればよい。
友引でも火葬をすることは問題がない。
葬儀をすることが問題なのだ。
友引に火葬にして、翌日に葬儀を行えばよいことだと思う。
(地域によっては、葬儀の先に火葬にするところがある。)